鹿野採話集
岡山在住のアーティスト山本晶大さんが、鹿野にもまつわるさまざまなお話や物語を集めながら、そこから得たインスピレーションをもとにアート作品を制作するプロジェクト。去年、今年とヒアリングやフィールドワークをしながら素材を集めつつ、来年の鹿野芸術祭での発表に向けて着々と準備を進めています。
2022/01/19 レポート
今年の秋頃に予定している鹿野芸術祭に向けて、今までのリサーチを踏まえてどのようなかたちで作品に落とし込んでいくか考えながら、企画書を書いています。
そこでいつも悩むのが、前々回のコラムでも書いたように郷土研究と作品とをどう区別化するかということです。リサーチして得た情報を整理・編集してわかりやすく展示するだけでは郷土資料の研究発表と変わりありません。
ある程度フィクションを織り交ぜていけば創作物化させるのは簡単ですが、作品っぽくするという目的のためだけにフィクションを混入させるのは、伝えようとしていることの本質を損なうことにつながるので避けたいところです。フィクションを交えるのは、それによって表現しようとしていることがより伝わりやすくなる場合に限らないと、作品っぽいものをつくるためにその地域の歴史や文化をダシにしたことになってしまい、その地域に対する敬意を欠いてしまいます。
また、フィクションを交えなくても、リサーチして得たものの中から特にこれを伝えたいという強いメッセージや美しさを見出し、それを鑑賞者に伝わるように最大限引き立たせて恣意的な展示をすることができれば、リサーチ内容を体系的にまとめて、分かりやすく客観的に展示する研究発表とは自然と差別化されていくはずです。(その恣意性こそがアート表現によって伝えられる内容を鵜呑みにしてはいけない理由でもあります。)
そのためには、集めた情報を整理していきながら、自分がその中の何に感動し、面白さや美しさを感じているのか把握して、どこにフォーカスを絞っていくかを判断していかなければなりません。
今回の鹿野町でのリサーチでも面白いと思うことや美しいと感じるものはたくさんありましたが、それらを全て盛り込んでいってしまうと、どれに注目したらいいのか、何を伝えたいのか分からない、とっちらかったものになってしまいます。そうならないようにまずは一番伝えたいことはこれという軸(テーマ)を決めて、その次に情報を「これを入れたらテーマは引き立つか?それともブレたりボヤけたりして邪魔になるか?」と考え取捨選択しながら肉付けしていきます。その段階で「テーマを引き立たせるにはこういうものも欲しいけど、リサーチしてきた情報の中には当てはまるものがない」となってはじめて、フィクションとして存在しないものを登場させるかどうか検討します。(テーマ決めや盛り込む内容の取捨選択を意図的には行わず、無意識や感性で行っている作家もいます。)
ちなみに私は今この辺のことをどうしようかなと悩みながら企画書を作っているのですが、毎回のことながらこれが中々難しいんですよね。私はもともとあれも入れたいこれも盛り込みたいと色々入れすぎてしまう性格なので、かなり意識して取捨選択していくようにしています。最近は「これも魅力的だから作品に盛り込みたいけど、これを入れたらテーマがブレるなー。蛇足になるなー。」と悩んだら、「この作品のテーマはこれだから、これは入れない!この魅力的なやつは別のテーマの作品用にとっておこう!」とちょっと割り切れるようになってきました。それでもついつい盛り込みすぎてしまうんですけどね。
これも入れたいんだけど、今回はボツ!ということができるようになってから、私は今までより作品を上手くまとめられるようになりました。その削る作業をシビアに行っている作品ほど、切れ味が鋭いのではないかと思います。
けれど最初の内はいいものをボツにすることってかなり難しいんですよね。失敗したものや恥ずかしいものをボツにするのは簡単ですが、いいものをボツにするのは本当に難しい。よく自分の学生時代の作品や他の美大生などの作品や展覧会を見て「とっちらかってるなー」と感じることがあるのですが、これは「テーマにはあってないけど割とよくできているもの」を切り捨ててボツにできないからだということが多いように感じます。特に美大生の内は持っている作品数も少ないし、自信もまだそんなにあるわけではないから、少しでもよく出来たものがあれば、あれもこれも見てもらいたいと盛り込みすぎてしまうのは仕方ないことです。
学生のとき、展覧会に出すための10枚の作品を決めるために、100枚の自分の作品を持っていって会場で選ぶ作家がいるという話を聞いて、なるほど、それが作品の深みにつながるのかと腑に落ちました。当時学生だった私には、展覧会に出すための10個の作品のために100個の作品を持って行こうにも、そんな量の作品はなく、真似しようとしてもできませんでした。ボツにするという行為はネガティブなイメージが強いものですが、10の作品のために90の作品をボツにできるということは、それだけ選択の余地や余裕があるということです。鑑賞者の目に触れる作品は10枚だけだとしても、その取捨選択の分だけ選ばれた10枚の厚みや深みにつながり、ボツにされた90枚は決して無駄になるわけではありません。
リサーチも同様で、せっかく時間をかけて集めた情報だから全部載せたいとついつい思ってしまうのですが、関係ない情報は載せない、面白いネタでもテーマから外れるものはちゃんとボツにするというのが大事だと感じます。
では次の作品は一体どんなものになるのかということが気になるところだと思いますが、まだ内容を練っているところですし、ネタバレになってもいけないので具体的に詳しいことをここでは述べられません。ただ、次は映像をベースにした作品にしようということは考えています。
私は今までインスタレーションという形態の空間全体を使った現代美術作品を主に作ってきたのですが、インスタレーション作品は展示が終わるとなくなってしまうものが大半で、私の作品も実物として残っているものは少なく、その多くは写真や映像記録としてしか残っていません。なので、次は映像記録としてではなくちゃんと映像作品として残るものを作りたいと考えています。
前回の滞在中にもリサーチをしながらロケハン(試し撮り)を行いましたが、使っているカメラのスペックの問題や、動画撮影用のNDフィルター等の細々とした機材がなかったこともあり、撮った映像を確認してみると納得のいくものでなかったため、この機に撮影機材の買い替えを行っています。また、前から気になっていたドローンを購入し、鹿野町を様々なアングルから撮るべく練習中です。
できるだけ色々な鹿野町の表情を撮りたいので、季節を分けながら何度か鹿野町に撮影に伺おうと考えていますが、今のところ一番心配なのは冬の雪道を通って鹿野町に無事にたどり着けるかどうかです。高知や尾道など、ずっと暖かいところで育ってきたので雪道を走った経験がほとんどなく、今まで過ごした中で一番寒かったベルリンも、寒いだけで積雪地帯ではなく、そもそもドイツで車の運転はしていなかったので、本格的な雪道は今回が初めての挑戦になります。雪に対する装備もよくわかっていないので、これは用意しておいた方がいいというものや防寒着のおすすめなどがありましたらぜひ教えてください。ぜひとも雪景色の鹿野町や春の美しい水田などを撮らせていただきたいです!
鹿野町で撮影の際は、不審者として見られて住民の方々に心配をかけてしまわないように、背中かどこかに「鹿野芸術祭 作品撮影中」などのわかりやすい表示を出しておくつもりです。また、コロナ禍がまだ完全に落ち着いたわけではなく、不安がある方もいらっしゃると思うので、感染対策をできるだけしっかりと行った上で伺わせていただきたいと思います。
鹿野町のみなさま、撮影や展示のために度々お伺いさせていただくと思いますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
文章:山本晶大/写真:青木幸太
鹿野芸術祭 2020→2022は「鳥取夜景」「鹿野採話集」を中心に 3年をかけて作品を制作し、発表していくプログラムです。
鳥取のさまざまな場所でフィールドワークしながらリサーチを重ねた 一年目。二年目となる今年はワークショップを中心にみなさんと さまざまな作品づくりを進め、そして来年、これまでの集大成として 発表の場所を作ります。
「いまアートを通じて人と人とがどうつながるか」その新しい答えを、 参加するみなさんといっしょに見つけながら、作っていきたいと考えています。