PROGRAM A

鹿野在住の画家 藤田美希子さんが鳥取のさまざまな場所で出会った夜景を描く新作シリーズを毎月ウェブサイト上で発表していきます。また日々の暮らしや絵に対する考え方など、さまざまな角度からお話を聞いた藤田さんのスペシャルインタビューもお楽しみいただけます。

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いつもの景色が教えてくれたこと

今月の絵は私がいつも見かける風景を描きました。鹿野の田んぼに水がはってあって水面に家の明かりと鷲峰山が映し出されている景色です。家からアトリエに行く道すがら見かける、私にとっては本当に馴染みのあるものです。

 鳥取に来て初めての田植えの季節が来たとき、あちこちの水田に水が入っていって、それがまるで鏡のようになって空が映し出されたのを今でもはっきり覚えています。それまでの風景が一変してとても美しい水田のパノラマが広がっていく。私はこの季節が来るのを毎年楽しみにしています。

 今年の田植えの時期は、コロナのことがあって日常が少しずつ変わりはじめた頃でした。そんな不安な中でも、目の前にはいつもと変わらない幻想的で美しい風景が広がっていきました。今年も変わらず紡がれていく穏やかな鹿野の風景。私はそれを見ながら自分がとても癒されていくのを感じました。世界が大きく変わっていったこの年の終わりだからこそ、変わらない鹿野の夜景を描きたい。そう私は思いました。

 今回描いた夜には「豊かさ」がイメージとしてありました。鹿野は街灯が少なくて夜は暗いのですが、そのおかげで星がよく見えたり、月明かりを感じることができます。世界がどんなに変化しても空には星が瞬いて、その下のある家々からあたたかい灯りが水面に映る、そこにある変わらない豊かさを描きたいと思いました。

 そして夜の情景を描いていくうちに、自分の心がとても静かになっていくのを感じました。それは描くことで癒されていくようなとても不思議な感覚でした。観てくださる方にも同じような感覚が伝わるといいなと思いながら描きました。いろいろと大変だったけど、みなさんこの一年間おつかれさまでした。そんな気持ちを込めながらひと筆ひと筆丁寧に描きました。

私の背中を押してくれたもの

私が通っていた中学校は、家から近いごくごく普通の公立校です。当時はテニス部に入っていたので、毎朝7時には学校に行って朝練。それから授業を受けて放課後はまた部活という毎日でした。部活がない日は当時通っていた絵画教室かバレエ教室に行きました。何もない日は友だちとカラオケに行ったり、本当にごく普通の中学生の暮らしをしていました。

 中学の頃はゴッホの絵をよく観ていました。「星月夜」という作品があるのですがその色彩が本当に美しくて、彼が使う青色の表現がとても好きでした。もちろん作風はまったく違いますが、この頃から少しずつ今の自分の世界観が見え始めていたのかもしれません。

 そういえば中3のときの合唱コンクールでクラスのポスターを描いて優秀賞をもらいました。そのときに壇上で表彰されてクラスのみんながいっしょによろこんでくれたのを今でもよく覚えています。いつもまわりの友だちが自分の絵を認めてくれていたのが小さな自信になっていました。

 卒業後は地元の公立校に行くか、他には都内の美術高校に行くという選択肢がありました。地元の高校は総合高校で、自分で授業を選択して美術の時間を多く取ることができたので、そこに行こうかずいぶん悩みました。やはりまだ美術一本で行く踏ん切りがどうしてもつかなかったのと、公立は家の負担も少ないだろうと思ったんです。

 そのときに母が「もう美術高校に行って思いっきり絵をやったら?」と言ってくれたんです。この一言がすごく大きかった。そこからもう気持ちを切り替えました。美術の授業も毎回全力で取り組んで、推薦で都内の私立の美術高校に進学することに決めました。いま振り返ると、いつも母が背中を押してくれてますね。母はいつも迷っている私を絵の道に進めてくれていました。

未知の世界に飛び込む前に

そうして私は都内にある美術高校に入学することになりました。新しい学校はとにかく絵のうまい子にたくさん出会えてとても刺激的でした。毎回美術の課題が出るたびにみんなが本気で取り組むのでとてもやりがいがあったし、すごく成長できました。その後、画家やイラストレーターになった子もたくさんいます。

 この頃になると、ただ技術的に絵がうまいということよりも、自分の個性がなにかということを考えるようになりました。自分の作風や描きたいテーマはなにか、身の回りの友人や、美術を学ぶようになって知ったさまざまな作家を知りながら、自分の絵を探しはじめたような時期だったと思います。

 高校時代に今でも仲のよい画家の岩渕華林ちゃんと出会いました。お互い油絵科志望だったのでいつもふたりで切磋琢磨していました。文化祭でゲリラで似顔絵屋をして小銭を稼いだり、美大受験が辛すぎて学校をさぼって鎌倉の海に行ったりしました。そうやって未知の世界に飛び込む前の日々を一緒に楽しんで乗り越えていました。この時期にお互いの才能を認めあえるような友人に巡り会うことができたというのはとても大きな財産だったと思います。

 高校も後半の頃になると朝から晩まで絵を描いているような毎日が始まりました。漠然とした自信とあとはもう後戻りはできないという思いで絵を生業にしていくという気合いを高めていきました。美術高校に入ると美術の授業が増える代わりに普通科目(数学や英語など)は大幅に削られるので、もう美術以外の職業に就く選択肢はないと腹をくくりました。

 美大の受験のために高2からは地元の美術学校に通いました。放課後と夏休み冬休みはずっと予備校で絵を描く日々でした。私の受けた大学は試験で人物画を描くのですが、受験の当日に私に割り当てられたモデルさんがたまたま以前予備校でも描いたことのある方で、体の線などを覚えていたのでリラックスして描けました。それで受かれたのかなと思っています。とてもラッキーでした。

 少しづつ自分の世界が広がっていって、絵の世界に進む前の準備や覚悟をしていたような時期だったように思います。この頃のいろんな出会いや試行錯誤が私を大きくしてくれた。ちょうど芽が出る前の種にたくさん水をやるような、そんな時代だったなあと思います。

美大への進学を決めた藤田さん。新しい世界でどんな出会いが待っているのか。

来月更新の「鳥取夜景 藤田美希子インタビュー05」に続きます。

今月の絵 <しかのよる>

毎月、芸術祭レターのために書き下ろされる新作です。
(こちらの、またはサイトの一番上にある絵をクリックすると大きく拡大されます)