PROGRAM A

鹿野在住の画家 藤田美希子さんが鳥取のさまざまな場所で出会った夜景を描く新作シリーズを毎月ウェブサイト上で発表していきます。また日々の暮らしや絵に対する考え方など、さまざまな角度からお話を聞いた藤田さんのスペシャルインタビューもお楽しみいただけます。

文章 wakuruca/撮影 青木幸太

花がひらくとき

「夜が朝に変わる境目の一瞬に音がなくなる時間があり、そのとき蓮の花は咲く」という言い伝えがあるらしいんです。それを知ったとき、私の頭の中に夜明け前の鹿野の蓮畑が広がりました。そしてその風景を描きたいと思いました。 今月の絵は鹿野の蓮畑です。 

 鹿野の蓮畑を初めて見たのは確か移住してきてすぐだったと思います。それまで鹿野に蓮畑があることは全然知らなくて、城下町を散歩していたら突然一面の蓮畑が目の前に現れました。誰もいない一面の蓮畑は圧巻で、私は思わず息をのみました。その壮大さと生命力の強さにとても大きなインパクトを受けました。それと同時になにか安らぎのようなものもあって、その両方が入り交じっているとても不思議な印象を受けたことをよく覚えています。初めて来た土地でなにかその風景から力をもらったような励まされたような、そんな気持ちになりました。

 「夜明け前が一番暗い」という言葉がありますが、そこを過ぎて少しづつ世界が明るさを取り戻して行く中で、蓮がポンっポンと音を立てて咲いていく様子を思い浮かべました。夜と朝の間の微妙な色合いの変化を表現するためにたくさん色を混ぜて淡い色を作り出しています。

 絵の中にはこれまでと同様に、鳥取のさまざまな夜景を彷徨う女性が登場します。彼女が夜明け前に鹿野の蓮畑へ辿り着いて、その風景を前にして心がやさしく癒されていく。そんな物語を思いながら描きました。

 それは初めて鹿野の蓮を見た自分と重ねあわせているところがあるかもしれません。ゆるやかに光が増していく中で花びらが静かに開いていく時間。何か新しい物語がはじまる前に、彼女は期待と不安を抱きながらこの蓮畑を眺めていたのかもしれません。

いい絵とは何か

美大を卒業した私はドイツ留学のお金を貯めるために一度東京で就職し、会社勤めをしながら時間がある限り絵を描くという生活を送りました。 

 そして2010年にミュンヘンに渡り、「ミュンヘンアカデミー」という美術大学の試験を受けることになります。まず入学試験を受ける許可をもらうために希望する教授との面接をしました。これまでの作品をまとめてファイルを作り、描いている絵の方向性をプレゼンしました。幸運にもその場でオーケーをもらい試験を受ける許可をもらいました。

 入学試験は課題が出され、それに沿ってデッサンするというものでした。これも順調に合格し、晴れてミュンヘンアカデミーの学生になることができました。ドイツ語がまだ話せない時期だったので、作品の説明をノートに書いてそれを見ながら話したりとかなり大変でした。

 この大学では主に現代絵画の考え方について学びました。週に一度クラスで講評会があり、そこで討論しながら自分の考えを深めていくというやり方でした。 

 実はその中で描いた絵を教授に全否定されるという経験をしました。日本では問題なく受け入れられた絵がここドイツでは通用せず理解さえされない。正直とてもショックでした。でもそのとき思ったんです。場所によって絵に対する価値観がガラリと変わることを肌で感じることができた。これはとても大きな経験だと。

 そこから表面的に美しく描くだけでなく自分が何を表現したいのか、そしてそれが社会にどう関係しているのかを構想から考えるようになりました。「いい絵」とは国や地域によって変わるもの。だから今自分のしている表現がどこから来たものなのかを考え、「私にとってのいい絵とは何なのか」を根本から考え直すようになったんです。それは私にとって絵を描くスタンスが大きく変化した瞬間でした。

収穫の季節

ミュンヘンでの生活が4年目を迎えた頃、私はライプツィヒにある「ライプツィヒ視覚芸術大学」に一年間だけ聴講生として通うことになりました。いわば国内留学のようなものでドイツの大学ではよくある形です。

 この大学はドイツの中でもブックアートの分野で広く知られており、学内には版画や写植、製本などの工房が多くありました。ドイツ伝統の職人的な風土のもとで本づくりの技術が学べる場所でした。

 それまで絵画について頭で考えることばかりやっていた私は、実際に手を動かして何かを生み出すということを強く求めていたのかもしれません。

 これを機に私はミュンヘンからライプツィヒに引っ越しました。この街はミュンヘンとは違って物価も安く、家賃もそれまでの半額で広いアパートに住むことができました。街の人はみんなフレンドリーで、当時街には空き家を利用したアトリエやギャラリーがたくさんありました。いろいろなアーティストが集まって新しい場所や作品を作り、街全体がエネルギーに満ちあふれているような時期でした。

 またこの街には「日本の家」というフリースペースを作っている留学生たちがいました。 そこでは肌の色や国籍も年齢もバラバラの人たちがいっしょに料理を作って食べることを毎週行なっていて、私もよくそこへ行っていろいろな人と関わることで多くのことを学びました。

 ライプツィヒは本の街で本のイベントがよくありました。私も出展して自分の絵本を紹介しました。たまたまベルリンから来た出版社が私の本を見て気に入ってくれて、そこから絵本を出版することになりました。街で出版された自分の本を見つけたときは本当にうれしかった。自分の絵画を本という形でどう表現するかを悩みながら模索していたので、それがひとつ形になったことはちいさな自信になりました。

 ミュンヘンではひとつの挫折から大きな気づきを得ました。そしてライプツィヒの街ではそこから解放されて大きな豊かさを得たような気がします。どちらも私にとっては大切な時間で、この時代に得たことが今の私を作っていると言ってもいいくらいです。

 まだ入る大学も決まっていなくて、まだ言葉もちゃんと話せないまま日本を旅立ったあの日。まさかこんなに多くのものを手に入れて帰ることになるとは正直思いませんでした。画家としても人間としても大きく育ててくれたドイツという国には本当に心から感謝しています。

いよいよ次回は最終回。日本での新たな出会いと出来事とは?

来月更新の「鳥取夜景 藤田美希子インタビュー07」に続きます。

今月の絵 <鹿野蓮池>

毎月、芸術祭レターのために書き下ろされる新作です。
(こちらの、またはサイトの一番上にある絵をクリックすると大きく拡大されます)