PROGRAM A

鹿野在住の画家 藤田美希子さんが鳥取のさまざまな場所で出会った夜景を描く新作シリーズを毎月ウェブサイト上で発表していきます。また日々の暮らしや絵に対する考え方など、さまざまな角度からお話を聞いた藤田さんのスペシャルインタビューもお楽しみいただけます。

インタビュー / wakruca 撮影 / 青木幸太

夜の気配を追って

今回の芸術祭では「鳥取夜景」というテーマで、月に一枚ずつ新しい作品を描いて、この鹿野芸術祭レターやウェブサイトで発表させていただくという試みをしています。

私にとって「夜」というのは絵を描く上でとても大きなテーマのひとつとしてあります。まだ私が10代の頃、当時通っていた美術高校は課題が多くて、よく夜中まで絵を描いていました。作業の合間に窓の外に目をやり、マンションや街灯が暗闇に浮かぶ誰もいない景色をよく眺めていました。そうして夜の気配のようなものを感じながら絵を描くのが好きでした。その頃から夜には昼間の社会性とは離れた神秘さを感じていて、今も絵を描きながらそれを追いかけているようなところがあります。
 
私が鳥取に住んでいて好きになったところのひとつに「夜の静けさ」があります。音も街灯も少なく、たっぷりと夜が長いこと。その静けさと澄んだ空気感を通して私の中にある「鳥取」を探したいと思ったんです。
 
今回、この芸術祭レターの表紙に描かせていただいたのは砂丘の漁り火です。はじめは何となくふと頭に浮かんだ風景でした。それで実際に行って見てみようと、ひとりで夕方の砂丘に行って馬の背を息を切らせて登ったんです。
 
日が落ちると、ぽつり、ぽつりと漁り火が海に灯りはじめました。言葉にできない静けさが私のまわりを覆っていました。そしてそのとき、ひとつひとつの漁り火が私の心の中にも灯っていくような気がしたんです。この不思議な感覚を絵として形にしてみたいと思って描いたのが今回の作品です。

青い絵ですが、下地に明るい色を使い、薄く青色を塗り重ねていくことで、下地の色が透けて見えるようにしています。そうやって寒色にならず、温かみを感じられる青色を目指しました。

家の近所は青々とした田畑

鹿野に住もうと決めた日のこと

私は千葉で生まれて、高校大学とずっと絵を学んできました。一度都内で就職したあと、ドイツのミュンヘンに留学して絵画の勉強を続けました。そろそろ卒業も近づいてきた頃、友人の宮内くんから「旧鹿野小学校の教室をアトリエとして使えるよ」と教えてもらったんです。それまで卒業して日本に帰ったら都会はもういいかなと思っていました。母の故郷が山口ということもあって、なんとなく山陽や山陰地方に住むのもいいなと考えていました。そういう縁もあって留学を終えて帰国してから一度、鹿野に行ってみようということになったんです。

ドイツで仲よくなった友人たちと一緒に日本を旅する中で、山陰線の汽車に乗って鹿野に立ち寄りました。鳥取に近づくにつれて車窓からの眺めがだんだんと田園風景に変わり、辺りも薄暗くなり、山々が迫ってくるようで、これはすごいところに来ちゃったなという印象でした。

私が鹿野に来たのは、たまたま鹿野祭りをしている時期でした。城下町にはたくさんの人が出ていて、私はいろんなお家にあげていただいてごちそうやお酒をいただきました。いろいろな人が入れ替わり立ち替わり座敷に顔を出していて、移住者の若者たちと町の人たちとの間につながりができてるんだなあと思いました。

今話してて思い出したんですけど、私そのお祭りの夜に熱を出してしまって、ひとりでお屋敷でふとんを敷いて寝てたんです。暗い座敷に、格子越しに提灯の光が差し込んで、遠くからお囃子の音が聞こえてきて。それはまるでタイムスリップしたかのような不思議な時間でした。そのときふとんに横になりながら、朦朧とした意識の中で「私この町に住むんだろうな」となぜかわからないけど思ったんです。それが決め手でした。変な話ですけど、あのときに鹿野に移住しようと決めたんだと思います。

心優しい大家さんから古民家を借りて暮らしている

あたらしい町で

鹿野へは引っ越しというよりも、とりあえず体ひとつでやってきたという感じでした。不安がないわけではなかったですが、ドイツと比べたら言葉も通じるし日本食にも困らないのでまあなんとかなるだろう、と思っていました。

私が来た頃はまだ城下町に「八百屋Barものがたり」というお店があって、
そこは毎日地元の人や移住者の方や旅人がやってくるような場所でした。そのお店でいろんな人と呑んだり話をしているうちに自然と知り合いが増えていったという感じです。

そうしているうちに、私はある女の子と出会いました。まこちゃんという、7つ年下の大学生でした。彼女は鹿野の蔵にひとりで住んでいたのですが、話しているうちに「ちょうどいいからいっしょに住もう」ということになったんです。しばらくすると彼女が偶然いまの大家さんに出会って「ちょうどうちに空いているはなれがあるからどうか?」という話になったんです。割と大きな一軒家でしたがふたりで住むにはちょうどいいサイズでした。私もまこちゃんもすぐに気に入りました。そんな感じでなんだかトントン拍子に家が決まりました。

家財道具はほとんど鹿野で譲っていただきました。私が移住した頃、鹿野には町の人が使わなくなった家具や家電を集めた空き家があったんです。そこに連れて行ってもらって「好きなの選んで持っていっていいよ」と言われて。正直、「ウソでしょ?」と思いました。都会では考えられない話です。しかも選んだものは全部軽トラで運んでもらいました。こんなこと本当にあるんだなあと思いました。でも私がこの町でうまくスタートが切れたのは町のみなさんのおかげだなあと今でも本当に感謝しています。

移住してすぐの頃、ルームメイトのまこちゃんと時々夜に近所を散歩したりしていました。家のまわりは一面田んぼなのでまっ暗で何も見えないのですが、晴れた日には星がきれいで流れ星が見えたり、蛍が飛んでいたり、カエルの鳴き声がたくさん聞こえてきたりして。そこで出会う光景ひとつひとつに驚いて、本当に楽しかったことを覚えています。まるでその風景を通して鹿野が「いらっしゃい」ってあいさつしてくれているような、そんな気がしていました。

いよいよ鹿野で動き出した藤田さんのあたらしい生活。これからどんな日々が やってくるのか。来月更新の「鳥取夜景 藤田美希子インタビュー02」に 続きます。

今月の絵 <鳥取砂丘>

毎月、芸術祭レターのために書き下ろされる新作です。
(こちらの、またはサイトの一番上にある絵をクリックすると大きく拡大されます)