PROGRAM B

アーティスト 山本晶大さんが鹿野に住むみなさんから地元にまつわるさまざまなお話をヒアリング。そこから得たインスピレーションをもとに作品制作するプログラムです。ウェブサイトでは集まったさまざまな声や地元の方々とのやり取りを紹介していきます。

アートについての小話

鹿野のみなさんこんにちは。今回はまだ送っていただいた投稿がまとめられていないので、まずはアートに馴染みがない方のために、少しアートについてのお話をしたいと思います。

地域とアート

鹿野芸術祭はいわゆる地域アートというものに分類され、地域アートとして有名なものには「瀬戸内芸術祭」や「越後妻有大地の芸術祭」などがあります。それらの芸術祭は大規模で動くお金も大きく、成功すれば無名だった地域に多くの観光客を呼び込むことができます。その成功例を見て、町おこしや集客を目的とした小規模な芸術祭が各地で相次いで生まれ、国も地域創生・文化政策の一環として支援を行っています。しかし残念ながらその多くは続かず、地域アートはいくつかの成功例だけを残して下火になりつつあると言えます。そもそも作家は営業活動が苦手な人が多いので、経済効果や町おこしにおける地域コンサルタントのような役割を作家に求めても上手くいかないことが大多数です。成功した芸術祭の裏側にはキュレーターという、作家を集めてプロデュースやマネジメントを行う専門職がいるので、表面的に真似をしただけではなかなか上手くいかないのです。イベント運営やアートに詳しくない人がアートイベントでお金儲けしようとしても上手くいくわけがないと言えば分かりやすいでしょうか。ただ悪いことばかりというわけでもなく、地域アートに参加した作家やスタッフが滞在制作を通してその地域に親しみを持つようになり、移住してくるという現象はよく見かけられ、町に「よそもの・わかもの・ばかもの」を呼び込んで活性化させるという面ではある程度効果があるようです。そうした下心ありきの二番煎じ芸術祭が廃れつつある一方で、そんな流れとは関係なく、地域のアーティストやアート好きが経済効果や町おこしを第一の目的とはせずに地道に行っている活動も多数あります。鹿野芸術祭はこちらの方で、町の人にアートに触れてもらう機会を作る文化祭のようなものと言った方がしっくりきます。

「参照:瀬戸内芸術祭2019より、王文志、小豆島の恋、2019年」
「参照:瀬戸内芸術祭2019より、ハンス・オプ・デ・ビーク、静寂の部屋、2019年」

瀬戸内芸術祭2019より引用 https://setouchi-artfest.jp/

アートって何?

では、そもそもアートとは何でしょうか?それはとても厄介な問題で、今でも明確な定義があるわけではありません。なぜならアートというものが持つ側面の一つに、現状を疑い、問い直す哲学的な性質があるからです。もしもプラトンの言ったイデアのように、この世の物事に「答え」や「あるべき姿」があるのだとしたら、アートとはその答えを追求し、体現すべきものだと言えるでしょう。ですが残念ながらその「答え」は、あったとしても人間の認識能力では把握しきれないもののようです。だからこそ表現者は思い悩みます。美しさとは何か?表現とは何か?自分はどうして表現に駆り立てられるのか?アートとは何なのか?と。もちろん全てのアーティストがそんなに思い悩んで難しいことを考えているわけではなく、中には無邪気に自分が綺麗だと感じる色を塗りたくって絵を描いたり、無心で黙々と制作している人もいます。むしろ日本では「芸術家はむやみに言葉で説明するな」という風潮があるので、そういった作家が多い傾向にあります。それはそれでアリなのですが、社会に出回る作品がそういった感性のみで作られたものばかりだと、作品に対する評価が好き嫌いだけで終わってしまいがちで、そこからは文化的な成熟や深みは発生しづらくなります。作家が思い悩みながら出した問いやメッセージを、作品を通して見る人が受け取り、その人の中に今までなかった新しい視点や疑問、価値観が生まれることが、ひいては文化の成熟につながっていくのです。そのように考察を通して作品が作られることを現代アートの用語で「コンセプチャルアート」と言います。ヨーロッパではこちらの方が主流で、考察の欠けた作品は評価が低い傾向にあります。同調圧力の強い日本では言葉による説明よりも空気を読むことが求められますが、多人種異文化が隣り合い、入り乱れる世界では説明不足は礼儀や責任感の欠如した行為とみなされます。それゆえ作品や作家に対する説明もヨーロッパなどでは重要視され、その背景からコンセプチャルアートが生まれたのは必然とも言えるでしょう。しかし、あまりに説明的になりすぎた結果か、「最近のアートは頭でっかちすぎる」という批判をドイツでも耳にしました。感性による作品もコンセプチャルアートも一長一短があり、またそれら以外にも沢山の分類があるので、アートとは何か、アートとはどうあるべきかといったことは簡単には結論づけられません。ただ、いずれにしてもその根底には作家の世界観や価値観が表現されたものという共通点があり、他人(作家)の価値観に触れるという行為がアート鑑賞の持つ醍醐味の一つと言えるでしょう。

交流を通して生まれるもの

作家が地域に赴いて滞在制作を行なったり、地域の人々や文化と交流したりすることは、作家の世界観を広げて作品に奥行きを持たせていくことにつながります。そしてそれがその地域に眠る価値を掘り起こしたり、すでにある魅力をさらに高めたりしていくこともあります。いつもそのように上手くいくわけではありませんが、その相乗効果こそが地域アート本来のメリットだと私は考えています。今回は新型コロナウィルスの影響で、直接鹿野に滞在して制作を行うことができなくなりましたが、その分情報を集め、考えることのできる時間は増えました。この機会を通して鹿野のみなさんと交流し、鹿野という地域やそこに関わってきた人々の歴史を掘り下げて作品に反映していけたらと思い、鹿野採話集という企画を提案させていただきました。鹿野のみなさま、よろしければあなたの鹿野での思い出や鹿野にまつわるお話をお聞かせください。よろしくお願いいたします。

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