PROGRAM B

アーティスト 山本晶大さんが鹿野に住むみなさんから地元にまつわるさまざまなお話をヒアリング。そこから得たインスピレーションをもとに作品制作するプログラムです。ウェブサイトでは集まったさまざまな声や地元の方々とのやり取りを紹介していきます。

武部さんのおはなし

鹿野のみなさんこんにちは。今回は河内出身の武部夏美さんからお聞きした鹿野のお話をもとにして記事を書かせていただきました。

雪上運動会

 武部さんのお父さんは「ふりむけば鷲峰山」など、鹿野を題材にした歌を発表されていて、鹿野町では武部と名乗ると「歌の武部さん?」と聞かれるくらい有名だそうです。
 そんな武部さんの出身は鷲峰山から流れる河内川の上流に位置する河内にあり、鹿野町の中でも特に雪深く、毎年30センチ以上の雪が積もる地域です。前回の谷口さんのおはなしでも河内川で遊んだ話や雪遊びの話をお聞きしたのと同様に、武部さんの子供の頃は河内川の上流にある河川プールで川遊びをしたり、ソリなどで雪遊びをしたりされていたそうです。(武部さんが遊んでいた河川プールは草刈りなどの整備を行う人がいなくなり、もうしばらく前から草が生い茂って泳げる場所ではなくなっているとのこと。)
 中でもお聞きしていて面白いと思ったのが、毎年2月に小鷲河小学校で行われていたという雪上運動会。1年生から6年生までの混合でできた6つの仲良し班で競い合い、走りにくい雪の中でリレーを行う雪上リレーなどの競技や、校長先生が雪の積もった校庭に向けてみかんを投げ、雪に埋もれたミカンを探すミカン探しなどがあり、春になって雪が溶けてくると校庭から見つかり損ねたミカンが出てくると聞いて笑ってしまいました。雪の降らない地方出身の私からしたらとても面白そうで羨ましく感じるイベントですが、武部さんが言うには、きっと今やると楽しいだろうけど、当時は毎日のように雪遊びをしていて雪遊びは特別なことではなかったので、雪上運動会はどちらかというと面倒臭いと感じていたとのこと。鹿野町の他の小学校でも雪上運動会というイベントがあったのか気になるところです。
 普通の運動会の方では、小学校の運動会なのにお昼ご飯のときに日本酒の瓶を持ったおじさんが各地区の人々と酒を酌み交わしてまわり、午後の競技が始まる頃には寝転がる大人があらわれ、さらに運動会のあとは各地区の公民館で慰労会と称した酒盛りがあったという、かなり酒飲みの多い地域だとうかがえる逸話が。私の出身である高知も酒飲みが多く、町の寄り合いと称しては酒盛りをする大人が多かったのですが、さすがに小学校の運動会で日本酒の瓶を持ち歩く大人はいなかったので、中々衝撃的です。

もうけ神社

 鹿野町のお祭りと言えば、神輿や獅子舞が練り歩いている中、町の人々が家にお客を招いてお酒や料理を振る舞っている鹿野祭(城山神社祭礼行事)というのが私の印象でしたが、河内出身の武部さんにお祭りのことを聞くと、河内で祭といえば毎年秋の10月に行われる茂宇気(もうけ)神社のお祭りのことで、夏の盆踊りなども特になく、鹿野祭は鹿野町にある親戚の家に呼ばれて昼頃に遊びに行き、ご飯をいただいたり家の前を通りかかった神輿を見たりして、夜には家に戻っていたので、鹿野祭がどんな祭であるかや、夜遅くまで祭をやっているということもつい最近知り、自分たちのお祭りと言うより町の方のお祭りだという印象を抱いていたとのことでした。河内のあたりは現在では鹿野町ですが、昭和の大合併で鹿野町になるまで、もともとは小鷲河村と鹿野村という異なる地区でした。そのことを踏まえて考えると、伝統行事など古くからある風習は地区によって結びつき方も異なるので、温度差や捉え方の違いが見えてきて興味深いですね。
 茂宇気神社は現在はもうけ神社と平仮名で表記されることが多いためか、なんとなく商売繁盛にご利益がありそうだと認識されている雰囲気があるそうです。鹿野町の郷土本である「わたくしたちの鹿野」によると、古くから河内村中の氏神として崇敬され、もともとの祭祀には埴山姫命(はにやまひめのみこと:田畑の土や陶器の粘土など、土と水を司り、五穀豊穣や鎮火の御利益を持つといわれる神)が祀られていましたが、後に埴山姫の命は昇神(神の世界に帰っていただくこと)して、現在は天照大御神(あまてらすおおみかみ:太陽や農業などを司り、皇祖神として日本で広く信仰されている神)、大山祇命(おおやまつみのみこと:山の神)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと:穀物の神)が祀られており、農業を主体として生活してきた山間地域であることがうかがえます。
 武部さんによると、以前は年越しの際にはもうけ神社の階段が清掃され、電灯も灯され、豚汁などの炊き出しも行われていたので、大晦日にもうけ神社に行って年を越し、そのまま初詣を行っていたそうですが、近年は階段の雪かきや豚汁の炊き出しもなくなり、雪の積もった長い石段を登るのはとてもキツイので、もうけ神社で年越しを過ごすことはなくなったそうです。

写真提供:鹿野町総合支所

鹿野のユーモア?

 武部さんは福岡の大学に進み、卒業後少し大阪に住んだあと、鳥取でダンスがしたいと思って戻ってこられたとのこと。福岡や大阪に住んでいたとき、鹿野町や鳥取との違いを感じたことや驚いたことは無かったかお聞きすると、福岡と鳥取とでは笑いのツボが違うなと感じるそうです。どこがどう違うとはっきりとは言葉にできないものの、福岡の人は明るく豪快で楽しいけれど、面白いというのとはちょっと違って、鳥取(鹿野町)の人の方が雪国気質というのか、ちょっと陰湿というか、ブラックユーモア寄りなものを面白いと感じるのかもしれないと。私は鳥取には住んでいたわけではないのではっきりとは分からないものの、確かにそういうことはあるのかもしれないなと思います。私は太平洋を前にして生まれ育ち、大学生時代は穏やかで暖かな瀬戸内で過ごしてからベルリンに渡ったのですが、ベルリンの冬はとても寒く、いつもどんより曇って鬱々としていて、ベルリンの人々が言うジョークも(冬は特に)皮肉っぽかったり、ちょっと自棄が入ってる感じがすることがあり、そういうユーモアは暖かい地域では確かにあまり聞かないかもしれません。鹿野の定番ジョークみたいなものがもしあれば、ぜひ聞いてみたいです。

出典:新訂 郷土読本 わたくしたちの鹿野

投稿を作成します
鹿のポストから メールから