PROGRAM B

アーティスト 山本晶大さんが鹿野に住むみなさんから地元にまつわるさまざまなお話をヒアリング。そこから得たインスピレーションをもとに作品制作するプログラムです。ウェブサイトでは集まったさまざまな声や地元の方々とのやり取りを紹介していきます。

福島さんのおはなし

鹿野のみなさんこんにちは。今回は、鹿野町出身の福島あゆみさんから届いたお便りをもとにしたお話です。

鹿野の山とクマ

 鹿野町出身の福島あゆみさんから、子供の頃に鹿野町の山で友達と遊んでいた思い出がつづられたお便りをいただきました。

 幼なじみの友達や弟と一緒に閉野の山へ遊びに入り、友達が言い始めた林の中の『きいろくてこわいくま』の存在を信じて、友達の「くまが来たぞー」という声で逃げ回ったり、木の上に家を作ろうと友達と一緒にちょうどいい木を探しに行って、つぶれかけた薪小屋の後ろに住めそうな木を見つけ、小屋から木によじ登り、友達と自分の部屋の場所やお菓子を運び込む計画を楽しくたてていると、農道を歩いていたおばあさんに見つかって「こらー!!」と怒られたり。
 また、あるときは友達と二人で山の横の道を何かないか散歩していると、車にひかれて横たわる一匹のたぬきを見つけ、もう救うことはできないけどせめて山の中に返してあげたいと、友達と一緒にたぬきを山の中に運んで土の中へ埋葬し、「きみたち中心の世界を作れていない人間でごめんなさい」とお祈りしたり。

 山は危険も沢山ありますが、楽しいところでもあります。ただ、山の中でクマに出会うかもと考えるのは怖いですよね。私もドイツの田舎で林の中を散歩しているときに大きなクマの足跡を見つけて、ビビってすぐに引き返した経験があります。あと、イノシシには過去3回はちあわせしたことがあります。襲って来られなくて本当によかった。
 黄色いクマはさすがにいないでしょうが、調べてみると鳥取県には東部を中心にツキノワグマが生息しているみたいなので、鹿野町にもツキノワグマはいるかもしれませんね。
 「鳥取県第一種特定鳥獣(ツキノワグマ)保護計画」によると、鳥取県に生息しているツキノワグマの数は推定456〜892頭と言われています。一見すると沢山いるようにも思えますが、ツキノワグマは環境省の哺乳類レッドリストで「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されている動物です。もし鳥取県に人が900人以下しか住んでいないと考えたら、かなり少ないと感じるでしょう。
 近年、ツキノワグマやイノシシなどの野生動物の目撃や遭遇、被害は増加傾向にあり、県によっては積極的に狩猟して個体数を減らそうとしているところもありますが、鳥取県はできるだけ野生動物と人との棲み分けを行って、町に出没するなど仕方のない場合を除いてできるだけ狩猟や殺処分を行わない方針をとっているようです。

人と森の動物たち

 タヌキやツキノワグマ、イノシシなどの動物が人里に降りてきて悪さをするのは、彼らが増え過ぎて山から溢れ出てきたわけではなく、人が山を荒らして彼らの食べ物が獲れなくなり、食べ物を求めてさまよった末に人の町にまで降りてきてしまったケースが多いと言われています。
 そもそも彼らは悪さをしているつもりもなく、ただお腹が減っていていい匂いのするものを漁っていたらそれが人間の育てている農作物や捨てられたゴミだったり、偶然出会ってしまった人間に驚いて怪我を負わせてしまったりしているのを、人間の都合で悪と決め、排除しようとしているのが現状でしょう。
 クマやイノシシなどの野生動物の餌となる木の実や果物のなる木は、高く真っ直ぐ伸びるものより横に広く伸びるものが多いため、あゆみさんが探していたツリーハウスを作るのに適した木でもあります。ヒョロヒョロとした木では心許ないので、がっしりと育った木の方が理想的ですが、そのような気を探すのは中々大変です。昔はそんな木が沢山あったと聞きますが、戦争のときに日本の森林の半分ほどが刈り取られ、代わりに家を建てるための木材として使うスギやヒノキなどの針葉樹が大量に植えられました。それらは木の実や果物をつけないため、森に住む生き物たちの食べ物が一気に減ってしまいました。できればそういった針葉樹は適度に伐採して建物などに使い、その後に木の実や果物のなる広葉樹を植えて、森の生き物たちが困らない森に戻していく方がいいのですが、海外からの安い輸入木材を使うようになったために、日本の人工針葉樹林のほとんどが放置され、荒れ果てています。
 増え過ぎて悪さをしているのは、森に住む動物ではなく、むしろ人間の方かもしれません。少子高齢化社会が問題だと叫ばれていますが、人口が減ること自体は実はそれほど問題ではなく、問題なのは人口が減ることを受け入れずに、今まで以上の発展を求めようとする人間の強欲さでしょう。人口の減少に合わせて人が占有する場所も減らしていって、人が荒らした森を動物たちのもとに戻すことができれば良いのですが。人が山や森に一切立ち入らないようにまでする必要はありません。子供たちが安心して遊べる人里近くの里山と、動物たちが問題なく暮らせる森をどうしたら両立させられるか考え、「きみたち中心の世界を作れていない人間でごめんなさい」と思う人が増えたら、少しづつ変わっていくかもしれません。

日本の自然と民家

 あゆみさんのお話や鹿野町をメインにしたお話からは少し逸れますが、森や里山、人と動物の話の流れから、少し日本の山と民家の歴史についてのお話をしてみたいと思います。
 私は家や空間をテーマに作品を作ることが多い関係もあって、日本の古民家や日本家屋の成り立ちについての歴史や建築学、民俗学などの資料を読む機会がよくあるのですが、その過程で知って驚いたことに、江戸時代の中期頃まで原始的な縦穴式住居に住んでいた人が少なくなかったという記録が出てきたことです。もちろん武士や裕福な町民、小作人をまとめる地主などは立派な家に住んでいましたが、貧しい小作人(自分の土地を持っておらず、誰かから借りた土地を耕し、借りた土地に住み、賃料と年貢にほとんどの収入を取られながら生活する貧しい農民)や差別されて人として扱われていなかった人々は、床すらない地面の上で寝起きする原始的な掘立小屋(縦穴式住居)に住んでいたことが珍しくなかったそうなのです。

 今和次郎という人が書いた「日本の民家」という本によると、現在にまで古民家として残っているような日本家屋は、江戸中期以降に一般に普及したのではないかと言われています。それまでは家を建てたい人が自分で建てたり誰かを雇ったりして家を建てていたので、貧しい人は粗末な小屋にしか住めませんでしたが、江戸中期頃から村が主体となって家を建てていくことが広まりはじめ、誰かの家を村人全員で建てることで庶民の家も段々と立派になっていきました。貧しくて立派な家を建てるお金がない人も、他の人の家を建てるのを手伝うことで、自分の家を建てる順番が回ってきたときに村の人々に手伝ってもらえるのです。

 輸入された木材や化学的に合成されて作られた建材が主流の現在と違い、昔の家は近くから採取できるものを上手く使って家を建てています。柱や梁に使う木は近くの山から伐採してきて、村人たちが自分で木の皮を剥いだりノコを挽いたりして加工していました。木から板を作るのには大変な労力が必要なので、綺麗な板張りの床は昔の人にとっては贅沢なものでした。畳はさらに高級品で、身分によって使っていい人とそうでない人が決められた時代もあったくらいです。
 ぐねっと大きく曲がった丸太が、古民家の梁に使われているのを見たことがある人もいると思います。現在は真っ直ぐ伸びる針葉樹を製材して作った角材がよく使われますが、真っ直ぐ伸びた木を山からいくつも探してきたり丸太を角材に製材したりすることは大変なので、屋根裏の梁や床下の大引など、見えないところの木材は松や広葉樹などの真っ直ぐでない木やほとんど丸太のままの状態の木を、最低限の加工で上手に活用して家が建てられていました。そう言うと手抜きをしているだけのように聞こえるかもしれませんが、丸太材を使って家を建てるのには細かな調整が必要なので、家を建てるだけなら角材を使う方がずっと楽で簡単です。機械技術の発達した現代でも木を伐採して角材や板材に製材するのには手間がかかります。それゆえに人件費の安い海外で伐採され、製材された建材が日本でも多く使われるようになりました。
 現在でも腕のある大工さんは「本当はその土地で育った木を使って家を建てるのが一番いい」と言います。家を建てる場所の近くで育った木は、その土地の気候風土に適応している木です。木は決して真っ直ぐではありません。いくら真っ直ぐ角材や板材に製材しても、木は呼吸しているので気温や湿度の変化で曲がります。遠い場所から運ばれた木はその土地の空気に慣れていないので、場合によっては建てた後に大きく狂うこともあるのです。
 柱や板だけでなく、壁や屋根も近くから採取できるもので家を作っていました。壁は竹を細かく割いて作った竹小舞という網目状の柵の上に土を塗って土壁を作り、屋根はススキやヨシなどのそこらへんに生えているイネ科の植物を使って茅葺屋根を作りました。瓦は高級品で、瓦が庶民の家にまで普及したのは江戸末期から近代にかけてです。
 鹿野町でよく見られる赤色の瓦は石州瓦と言われ、島根県が発祥の日本海沿岸部で広く使われる高級瓦です。石州瓦には赤い釉薬がかかっており、雪や塩害に強いのが特徴で、日本海にとても適した瓦だと言えます。そんな瓦も土を焼いて作っているので、細かく砕いて埋め立てればそれほど地球環境にとって有害ではありません。

里山と間伐材の重要性

 もののけ姫をご覧になった方は分かるかもしれませんが、昔も鉄や銅などを採取し、精製していた場所などでは山を大きく切り拓き、薪にするための木をどんどん伐採していき、環境破壊や公害問題が起きている場所もありました。
 しかし、多くの人里ではそこまで家を建てるための木材や燃やすための薪が極端に多く必要だったわけではないため、山や森から無闇に木を伐採していたわけではなく、人里近くの山や森から適度に木を取ってくることでかえって山や森の循環を良くする手助けとなっていました。そのような人里近くの山は里山と呼ばれ、野生の動物たちが住む山奥や森の奥と人里との間の緩衝地帯としても機能していました。
 そのように山や森の循環を整えるために伐採されてできた木材のことを間伐材と言います。先に述べたように、日本の人工針葉樹林の多くは戦中から戦後にかけて植樹されたスギやヒノキで、その多すぎるスギやヒノキが日本人を苦しめる花粉症の原因ともなっています。また、本来なら伐採されて使われるはずだった木が伐採されないままびっしりと山に生えているので、多くの木がヒョロヒョロと細長く、木材として使うのも微妙で、根っこも浅く張っていて地滑りが起こりやすい原因ともなっています。
 この間も建材屋さんと話していたのですが、本当はもっと間伐材を使う人が増えた方がいいのに、間伐材があまり出回っていないから使う人が少なく、使う人が少ないから間伐材が出回らず、その結果、木材としてはあまり質がいいわけでもないのに間伐材のコストが高くなってしまって余計に使う人が少なくなり、いつまでも日本の人工針葉樹林が整備されないまま放置され荒れ果てるという悪循環が続いているそうです。

 ハウスメーカーなどが作って売っている最近の建売住宅のほとんどは完成したときが一番綺麗で、あとはどんどん劣化していき、劣化した後のこともあまり考えられておらず、30年〜50年ほど住んだら終わりの使い捨て住宅です。逆に言えば30年住んだら捨てると割り切って住めば、メンテナンスもあまり必要なく住める便利な家です。一方で昔ながらの古民家は住んでいる人がメンテナンスしながら住むことを前提に作られているため、住んでいるとあちこちに問題が出てきて、あっちを直してはこっちを手入れしてと、実際に住むと結構面倒くさい建物です。ですが、ちゃんと手入れしながら住めば100年以上住み続けることも可能です。
 もしあなたの周りに手直ししたらまだ住めそうな古民家があれば、何も考えずに新築や建て替えをするのではなく、その家を改修して住むという選択肢も考えてみられたらと思います。そしてできたら、使えるところには間伐材や国産材を使っていただけたら嬉しいです。
 動物たちが住む山や森をもとに戻し、里山を復活させることができたら、人間と野生動物が傷つけ合うことも、私たちが花粉症に苦しむことも減るでしょう。訪れるなら私はそんな未来がいいなと思います。

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