おでん屋 汽笛
ここは鹿野に110年前からある架空のおでん屋さん。一見普通に見えるこのお店、実は中に入ると「もしも町に駅が開通していたら」というもうひとつの鹿野の歴史をたどったパラレルワールドが広がっています。あなたも別世界の住人になって時空を超えた体験をお楽しみください。(もちろんおでんをおいしくて食べるだけでもOK)
※EVENT下の<入店前にお読みください>を事前にご確認ください。
2023/01/23 レポート
毎年鹿野芸術祭から出展オファーをいただいているのですが、いまいちその理由が分からないまま三度目の出展を迎えました。今回私は「老舗のおでん屋を作る」という一見矛盾した文章で表現せざるを得ない作品を制作しました。何せ自分のどのような部分を買ってもらっているのかよく分からないので、自分の興味に向き合って好き勝手作るしかないのです。
企画を練っていた当時、ロシアとウクライナの戦争が激化していました。我々の生活する世界では、ウクライナの首相の言葉やウクライナ国民の悲鳴が多くメディアに取り上げられていました。ヨーロッパサッカーの中継画面には「N O W A R」の文字とともにウクライナの国旗が、ニュースには近隣諸国に避難するウクライナの住人の姿が映し出されていました。私自身も小国ウクライナに同情し情報を享受し続けていました。しかしある時ロシア側の情報が全く入って来ていない事に気づき、ロシア側の道理を調べてみました。調べてみるとどうやらお互いの国の歴史認識の齟齬が原因で争いが生まれているらしいということを知りました。理由はなんであれ暴力はいけないと思いますが、何が真実なのか全く分からなくなってきました。ロシアとウクライナは隣国であるのに異なる歴史を生きているわけです。話が噛み合うわけがありません。しかしこれは決して他人事ではなく、自分も似たような状況にあります。私は日本人に教育を受けて、日本の歴史の教科書通りの認識をしているけれど、全く異なる歴史を生きている人達もいるわけです。隣国には隣国の歴史が存在していて、彼らは彼らの歴史を生きています。歴史というのは絶対的なものというよりむしろ、それぞれが認識したいようにしている信仰のようなものなのかもしれません。自分の生きていない歴史を認識し、自分の生きている歴史と照らし合わせる。その作業ができないと話し合いをすることはできません。そんなことを考えていると、鹿野芸術祭で歴史を捏造するということの可能性を感じてきたのです。今回の芸術祭で私は老舗のおでん屋を作りました。鹿野の町を調査し、ありそうだけどちょっと歴史が捻じ曲げられた老舗のおでん屋を鹿野の町の中に作りました。「実際の歴史」と「捏造された歴史」を同時に並べ、その二点を行き来することで見たことのない風景が見られるのではないか。来たる未来の姿を想像することができるのではないか。そう考えて「老舗のおでん屋」を作ることにしたわけです。
捏造された歴史というきな臭い表現をポップに変換すると、パラレルワールドというドラえもん用語になります。私たちが鹿野を調査し、設計したパラレルワールドの鹿野には鉄道の駅があります。実際に百十年前山陰本線が開通した時、鹿野に駅を作るか、今実際にある浜村に駅を作るか論争があったそうです。紆余曲折あり浜村駅が誕生するのですが、もしそれが逆になっていたら鹿野の町はどうなっていたのでしょう。
今回作った「おでん屋汽笛」の世界には山陰本線鹿野駅が存在します。一歩おでん屋に入れば店主から「汽車で来たの?」と尋ねられ、話をしているうちに鉄道駅のある鹿野の町の輪郭が浮かび上がってきます。鹿野の町を知る人にとっては違和感ばかりの店主の話。しかし違和感に耳を傾け続けると自然に現実の鹿野の町に思いを馳せる事になるのです。もし駅があったら道路の走り方も変わっていたでしょうし、駅前にはお店も多くあったでしょう。しかし鹿野の美しい町並みはそこまで残っていないかもしれません。駅があれば人が来るというのは一昔前の発想で、現在は駅舎の存在が負担になっている自治体もあります。駅があった方がいいのか。それによって得たものはなんだろう。失ったものはなんだろう。などなど考えを巡らすことが可能になります。特に地方と車社会というテーマについては多くの人が一度は考えたことがあるようで、鹿野のことをあまり知らない人でも自分自身の住む町の状況と照らし合わせて想像する事が容易だったようです。おでんを食べ終えて外に出るといつもの鹿野の町が待っています。おでん屋汽笛の店主に教わった場所に行ってみると何もなかったり、オススメされたお店に行くと全然違うお店があったり。さっきまでいた場所とは違う歴史を辿った町なのだからそりゃそうですね。
四日間の営業期間中に常連客となって何度か訪れてくれる方がいました。最終的に店主に人生相談をしているお客さんもいました。作品であるかどうかは関係なくみんなでお酒を飲める所がここにあるのが嬉しいという言葉を掛けてくれる地元の方がいました。あり得たかもしれない日常の風景が見られました。この風景を信じてこのままこの世界の住人になってしまおうかと思いましたが、もう一つの世界に残して来た妻と子が心配なので思いとどまりました。今度は老舗の餃子屋を隣町に作ろうと思います。百十年間のご愛顧、誠にありがとうございました。
文章・写真(1,6枚目):宮原翔太郎/写真:青木幸太