表鷲科での制作授業

鹿野学園3年生のみんなと講師の方がいっしょに
アート作品を作るプロジェクトです。

制作レポート 2023

今年度はアーティスト
髙久柊馬さんといっしょに
作品づくりに取り組みます。

鹿野芸術祭滞在レポート ① 表鷲科授業

今回の滞在中に鳥取市立鹿野学園で行われている表鷲科という表現授業を担当させていただきました。鹿野学園から授業時間の枠を8限分いただいて、それを元に展示を完成させて、発表する機会となりました。図工の授業で工作物を作ることでも想像性あるものは生まれてくるでしょうが、そうすることはなくアート・アーティストと一緒に制作し、作品を見るというのが今回の趣旨です。

物を作るといっても図工、美術、芸術、アートでは取り組む内容が全く違うと思っています。
ですがすべてが絡みあっていて常にこの四つは混ざり合って存在しています。

・図工というのは、技術的な事を求めるわけではなく表現方法の手段の幅を広げること

・美術というのは、どの様式関係なく技術で見せること。

・芸術というのは、様式に当てはまらないこと

・アートというのは、作る歴史を理解しながらに変化させること

小学生で習う図工というのは、作り手の技量は問わないけれど観客の技量は必要で、幅広く見る視点がないと技術的な視点でしか評価ができない分野になります。

美術では技術的な要素が強く、技術面が高ければ高いほど良しとされていますし、高いほど見る側も受け入れやすい形になっていきます。

芸術というのは、芸術的側面が強ければ強いほど見る人は目新しく見ることに対する技量も必要になり、評価軸も技術的側面よりも目新しさにあります。

アートでは、何らかの技術が行き詰まった時に別の形式を受け入れ変化してきた歴史を見ることになります。

なぜ図工ではなく表鷲科なのか、そこから考えて小学生との作品を作り上げていきました。

作家活動をするようになってから見ることの重要さ、楽しさを知ったので、今回の作品では自分の作った物だけでなく、クラスメイトの作ったものすべてを見てくれるような作品になるといいなと思いました。それぞれが作ったものには名前は振らずに、大きい部屋を1つの空間作品にしていく作りにしました。

『子供たちが大人を招く』文化祭や学園祭のような気持ちで、自然と楽しく制作をしていってくれたらいい作品ができて、見る人も楽しんでくれるだろうなと思いながらの制作でした。

鹿野芸術祭滞在レポート ② 表鷲科発表
タイトル 「 そこから拾いそこに置く 」

作品を作る中で大切にしていることの1つが、まだ見たことのないものを作るということです。

今回の「表鷲科」の授業では、それぞれが何かを作る時に見た事ある物の模倣にならず、表現に対して素直に考え直す事を感じてくれたらいいなと考えました。

今回の作品は、記憶の中での好きな形や好きな事を整理し、それを作品に消化する事を目的にしました。
少し難しく書きましたが絵日記だと思っていただけたらなと思っています。

鹿野に滞在していると自然物に目が行くように作られている町だなと思う節がたくさんありました。
きっと町のみんなも四季や風土を感じるのが好きで、それらを感じられるよう広い視野を持って身近なものから整えているのでしょう。

そうしてできあがった風景には、太陽や月がとても美しく反映されて町全体が共通の時間に包まれている、そんな感覚から今回の作品は始まったのかなと思います。

「好きな形、好きな色、好きを拾う」という授業から始め、それぞれが気になったものを拾い集め、それをラミネートしていく。
その流れの中で、なんで拾ったのかが見えてくる事もあります。
奥の部屋に吊るされている言葉は城山で拾ってきた理由です。

次の授業では時間についての作品を制作しました。

1日の中で好きな時間は何時で、何をしているのかを書いてもらい、それを時計と共にオブジェにしていきました。

最後に内庭を作ろうと言い、拾ってきた植物、石を使ってみんなで小さい建築をして作品は完成しました。

鹿野は庭づくりをやっている人が多いなという印象がありました。
子どもたちが作った庭もなかなかいいできだと思っています。それもこの町で住んでいるからなのかなと感じました。

レポート:髙久柊馬 / 写真:青木幸太、一部参加者提供

制作レポート 2024

今年度は木工作家
タカハシマサトさんと
いっしょに作品づくりに
取り組みます。

2024年鹿野学園ワークショップ「空想の生き物をつくろう」レポート

自己紹介のつもりで、打ち合わせに持って行ったハシオブリ(九十九製作所でつくっている箸置きの名前)から話が広がり「空想の生き物をつくろう」という今回のテーマが決まった。
ハシオブリは長く大事に使われた箸置きに命が宿り、手足が生え、動き出したらおもしろいなぁという私の思いから生まれた空想の生き物。
この世界にはまだ存在しない生き物を子どもたちと考えてみることになった。

(髙橋さんの作品ハシオブリ)

1回目のワークショップ

いきなり机に向かって「それじゃあ空想してみよう!」というのはきっと中々にハードルが高い。まずは空想の準備としてみんなで城山に登ってみることになった。
子どもたちと打ち解けられるか不安に思っていたが、一度みんなで歩き出せばただの農道でも話題に事欠くことはなく、子どもたちのパワーに助けられた。
葉っぱや木の実、ねこじゃらし、何かの部品や苔むした石。とりあえず見る、触る、嗅ぐ、組み合わせてみる。

城山からしかの心に行き、空想の生き物を絵に描いてみる。
私はどちらかといえば空想は得意なほうだ。
自由にどうぞといわれれば嬉々として空想を繰り返すだろう。
しかしそれが難しい人もいる。
なかなか描けない子がいるのではないかと心配していた。
紙を配った瞬間に何を言わずとも描きまくる子が何人かいた。
いいぞ、思う存分やってくれ。
最初のうちは中々筆が進まない子もいた。
しかし「どんな生き物にしようか」と話しかけると城山から採取してきた枝や実を手にして色々と話し始める。
いいね、それをここに描いてよ。
自分の内からでたものを表現する恥ずかしさと立体物を2次元にする時に少し戸惑いがあったようだったが、周りの熱に浮かされ吹っ切れたようだった。
そこからはもうノリに乗っていた。
私は本当に木彫できるのか心配になってきていた。

1回目のワークショップを終え、智頭町の工房にもどり、子どもたちの描いた生き物を改めて見た。
自由は良い。不自由は悪い。一般的なイメージはそうだろう。
しかしいざ自由に空想することを求められたら戸惑うのが普通なのではないかと思った。
でも子どもたちは限られた時間でこれだけの生き物を描いた。
自由な空想ができる、あるいはそれが得意だということはどういうことなのか、自問した。
その問いに対する答えを考えながら生き物を木彫していった。
全く何もないところから何かを空想するということは、やっぱり難しい。
行ける範囲が広すぎるのだ。
ではどうしているのか、
きっと私たちは無意識にルールや制約といった不自由をつくりだしている。
そういった取っ掛かりがないと決めをつくりにくいのだ。
別にそうしなくてもいいのだけれど、そうだと決めてドンドン次に進んでいる。
進めば進むほど無理も出てくるが、そんな時はルールを変えれば良いのである。
細かなことは気にしないのだ。
子どもたちはルール作りが上手なのだと、そう思った。

ワークショップ2回目

私が木彫した生き物たちを子どもたちに渡して、サンドペーパーで研磨して仕上げる。
自分の空想通りで喜ぶ子、すこし違うもので残念がる子、違うけどこっちの方がかっこ良いからOKと言う子。
色々なリアクションがみられた。
きっと子どもたちは自分の生き物を私に木彫オーダーした感覚なのだろうと思った。
そりゃオーダー通りでないのは残念である。
子どもたちと私の合作だという感覚はまだ少し難しいのだと感じた。

作品発表展 11月16日〜17日

ワークショップ2日目終了後、クチュール鹿野にて作品展示の機会をいただいた。
せっかくつくった作品なので色んな人に見てもらいたい。
自分の作品を見てもらって、何かしらの言葉をもらうことは大切だと思う。
お母さんに照れくさそうに作品の説明をしている光景がみられて私も嬉しかった。

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